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中から中国製蓮弁文青磁片・銅銭等が出土していることから、このシラス単純層は、人為的に覆土したものと考えら

れる。このことから本空堀は少くとも二期に区分することができよう。

館コの下方を巡る濠は、西側の現地形からも容易にその存在が確認された。その後、土塁状の小山の連なる東側で、

この土塁状小山連との間、北側の現在道路となっている低地もその可能性が考えられ、トレンチで調査の結果、上端

幅五~一〇メートルの濠が館コ下方を一巡していることが確認された。基底幅及び深さは、激しい湧水に水中ポンプ

が役立たず、約二メートル掘り下げた時点で壁面の崩落が始まったため作業を中止したので不明である。

館コの西側、水田を挾んで舌状台地が存在するが、この舌状台地の東側下方にも上端幅四・二〇メートルの箱薬研

状の濠が存在する。

これら二本の濠には、北方の沢目から滲出する水が流入することから水濠と考えられ、館コの南側で合流、その後

米代川に流入する。

また館コ北方の台地上でも空堀が確認されている。上端幅三・八二メートル、深さ一・四二メートル、基底幅一・

九五メートルの箱薬研状を呈する。

エ器本遺跡から出土した土器類は、繩文式土器・弥生式土器・土師器・須恵器の四種九九点であるが、すべて

小破片である。

繩文式土器は、前期(三)、後期(一五)、晩期(四)の三期二二点である

弥生式土器は後期九点である。