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らはほとんど遺物は出土しなかった。
③空堀(記号〓)
〓郭部分を三重に堀がまわる。第一〇号空堀と第一一号空堀はつながる可能性もあるが、調査区域外のため不
明である。堀はいずれも薬研堀である。
第一〇号空堀幅三・七メートル深さ四・〇メートルであるが、底の方は自然に浅くなったものと思われる。
埋土中から土師器片が出土した。
第一一号空堀上幅三・九メートル下幅○・五〓ートル、深さ三・四メートル、一番外側の堀である。遺物
はほとんど出土しない。
第一二号空堀上幅九・四メートル下幅と深さは湧水のため不〓
第一三号空堀上幅七・五メートル下幅一・〇メートル深さ三・一メートル、一番内側の堀である。焼け
た板片や繩文土器、土師器の破片が出土した。
〓発見遺物
繩文土器・土師器・須恵器・鉄器(紡錘車・釘)・木器(木皿・櫛)・炭化
竪穴住居内からの遺物は少なく、完形になるものはほとんどない。出土遺物のほとんどが土師器の坏や甕の〓
片である。第三号住居跡からは、紡錘車・炭化米、炭化米直上から木皿などが出土した。繩文土器も出土量が少
なく、完形に近く復元できたのは第二三号土拡出土の土器三号のみである。
〓まとめ
妻ノ神〓遺跡は中世の館跡と推定され、調査を開始したが、結果的には中世の遺物は一点も出土しなかった。
また遺構の郭と堀の他は、中世の遺構が検出されなかった。このことから推察すると、当遺跡が館として使用さ
れた時の用途は、見張り場所など常駐する必要のない性格のものとして使用されたと考える。(県埋蔵文化財セン
〓発見遺物
ター『昭和五十六年度発掘調査報告会発表要旨』より