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円福寺阿弥陀如来像

盤を築き、勢力を広げていったものであろう。大日堂

を中心とする舞楽を担当する大里・小豆沢・長嶺・谷

内の四村では創建以来の祭祀組織がそのまま維持され

ていたが、応仁の乱以後の戦国時代に入ると次第に荒

廃していったように推測される。

二、諸社と信仰

〓小豆沢の大日堂

大日堂は、寿永二年(一一八三)に鎮守府将軍藤原秀衡の命により、堂社を再建したと伝えられる。その後、

長禄四年(一四六〇)に安倍師季が鐘を寄進し、この鐘は寛文六年(一六六六)に大日堂が焼失するまで堂内に

置かれていたという。『大日堂故実伝記』『大日堂由来記』などによると、その銘文に「長禄四年八月大日鐘成

就奉懸、大旦那安倍師季、別當沙弥藤原浄通、治工若州遠敷郡小南金屋鋳之」とあったという。安倍師季は、『

紀伊熊野夫須美神社文書』の応仁二年(一四六八)二月二十八日の項にみえる「安東下野守師季」であろう。こ

の別当沙弥藤原浄通は、応仁の戦乱が始まると比内へ去って行く。