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それぞれ神の化神となり、大博士=大日、小博士=毘沙門、三博士=八幡、四博士=稲荷、五博士=熊野、六博

士=新山に当てられている。熊野社は川部部落にあり、ここから五博士の能衆が出ることになっていた。ただこ

の熊野社の勧請の時期や、博士等を各神社の神としたのがいつであるかは不明である。しかし、小豆沢大日堂

にも境内社として熊野堂があり、安倍家文書によると、この熊野堂は近世大日堂の第一の末社で、祭田三百五十

苅があった。石高制に移行する前から祭田があったことから、すでに中世には熊野社のあったことがうかがわれ

る。別の記録によると、寛文六年(一六六六)に境外にあったものを境内に移したとされる。

この他にも、近世の記録であるが、南部藩の山状の霞・旦那場の所在地・堂社を書上げた『御領分社堂』に記

されている両鹿角の熊野社がある。花輪通では石鳥屋村と川部村の熊野宮、毛馬内通では小枝指村と柴内村の熊

野宮が記されている。石鳥谷、小枝指、柴内はいずれも古くから開けたところで、いわゆる鹿角の四十二館の中

に数えられる館がある。

また鹿角の伝説の中には熊野との関係を持つものがあり、その一つが有名な八郎太郎の伝説である。八郎太郎

を十和田湖から追い出した南祖坊は、熊野山へ三十三度参詣し結願したと伝えられている。もう一つは大湯の堀

内にある「熊野権現若松麻呂」にまつわる伝説で、小池左衛門の霊を祭って熊野権現としたとされる、『桂泉観

音之御本地』(二戸郡天台寺の縁起)の中の物語である。これら二つの伝説は、中世の熊野語り部によって創作

されたものと考えられる。他に、熊野信仰の名残りと思われる地名もいくつか見受けられる