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在をうかがわせている。縁起では貞治元年(一三六二)に戦火で炎上し、それ以来再建もなく断絶したとされる。

この観音寺の遺品といわれる茶釜と金銅仏一体が、小平の永久山円福寺に伝えられている。茶釜の製作年代は不

明だが、金銅仏は高さ四八センチの阿弥陀如来像で、「正安三年辛丑三月日佛願」の銘が刻まれている。正安三

年(一三〇一)は観音寺の焼失より六一年前であり、その遺品の可能性はあるかもしれない。円福寺の創建は永

禄元年(一五五八)大円寺三世葉山宗奕和尚の開山である。貞治元年から永禄元年までの約二百年間、この像は

どこに安置されていたのであろうか。

大里観音堂の古仏像は、現在大里の福用山大徳寺に安置されており、明治の神仏分離の際に難を遁れて大徳寺

に移されたといわれる。この像は、高さ二五・五センチ、幅七・五センチ、阿弥陀闇浮陀金像とされてきたが、

地蔵菩薩であろうとの見解がある。銅製で、金銅像であったともいわれ、作風から藤原時代のものと推定されて

いる。銘がないのでどこで造られたかは不明だが、おそ

らく中央から運ばれてきたものであろう。この観音堂は

小豆沢の大日堂と関係があり、大里の村人は産土神とし

て崇め、近世は鹿角三十三観音札所二十番の観音寺(住

吉寺)として数えられてきたが、神仏分離によってその

地位を失なってしまった。

大徳寺地蔵菩薩像

同様に三十三観音の十五番として、谷内の観音堂があ