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第一節盛岡藩の領域確定と鹿角

青垣山を繞らせ

る国のまほらば

育垣山を繞らせる鹿角は、地域的には奥羽山脈の中央分水嶺を境にして西流する米代川の

転上流に位置して、古くから陸奥国に属し、近世にはその領域の大半を同分水嶺の東側に

占める盛岡城主南部氏の領有する所であった。『雑々秘録』によれば「金山・銅山を抱ひし外、産業ある処なり、

所々温泉などもあり、馬草・薪も自由にして一体に能き所也」としながらも、「御城下(や)三戸への通路は高

山を抱ひ居る故、便利宜しからざるなり」という地でもあった。

しかしながら、地勢上からみて確かに辺境の地には違いないとしても、盛岡藩財政上から、ひいては盛岡藩の

治政上からみれば重要な意義を有する土地柄だったのである。

まず第一に、鹿角が抱える豊かな資源である。藩政初期に白根金山のほか尾去沢諸金山等が開発され、諸国に

喧伝されていた事(

『徳川実紀』慶長

二年四月是月条

)など、地下資源に恵まれていたほか、慶長三年正月豊臣秀吉から

「南部古

実伝記』

『祐清

その後徳川家康から鹿角の木材が所望されるほど

)、中央にまで名が知られた森林資源の宝庫でもあった。

私記』

)、