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第3表桜庭氏家士の召抱時代別高別分布状況

(『桜庭御家中禄高並座順調書』『秋田県史』所収立山家文書

「雑書』『御

た(

(

家被仰出

)。

桜庭氏の家士の員数は、明治元年調によれば九九家、高にして一、二五一石九斗二升二合であった。この時の

桜庭氏の家禄は二、一六一石七斗四升九合であるから、家士に支給した高の割合は五七・九パーセントを占めて

いたことになる(

桜庭御家中禄高並座順調書』

秋田県史』所収立山家文書

)。

大湯城預かりと赤尾氏・北氏

藩政初期における大湯城主あるいは同城預かりの交替は、明らかではない。

大湯『大円寺縁起』は毛馬内三左衛門直次が寛永二〇年(一六四三)まで在

城、同年藩命によって毛馬内城に転出後、同氏の本家筋である毛馬内靱負則氏が毛馬内より転入したと伝えてい

るが、三左衛門直次の大湯在城を傍証する資料は確認されていない。