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た御蔵奉行のもとに御新田披立懸が

あった。一方、毛馬内通代官所には

下役、植立奉行、牛馬役があり、ほ

かに御蔵奉行が置かれていた。これ

が嘉永五年(一八五二)の『盛府百

〓』によれば、花輪通代官所は右の

ほか御境役と御物書を加え、毛馬内

通代官所では巣鷹御用懸、御境役、

御物書を加えたほか、御蔵奉行が御

山奉行を兼帯していたことを伝えて

いる。これは従前、御境奉行の組織にあった御境役が身分上、所

御給人に取立られたことから代官支配に編込まれたことのほか、

御物書については、従前代官が任地で採用していたものを、天保

五年(一八三四)以降、正規の職制となり藩士の持役に改めたた

めに具顕化したものである。しかし残念ながら、いずれの場合に

も職制のみが記載され、組織を知る上で必要な「懸御用」が示さ

れていない。その欠を補うのが安政二年(一八五五)当時の状況

第6表両鹿角代官所組織(2)

(推定天保11年)

(典拠『官職志』)