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「御役
を伝える『大小御役末々迄人数積』である。職制は従前の通りであった
ほか、懸御用が記載されている
〈帳」
ため、はじめて代官所の組織を垣間見ることが出来る。強いて資料の性格的難点を言えば、職制の兼務を含めて
持役が不明であること。帳付、目明、定番など、古くから存在は知られるが、代官限りの任地採用であるために
これ等は資料上に顕われないことなどである。
別表の中で目を引くものに、硝石、〓硝関係の諸役がある。寛政年間(
七八九~
八〇一
)から、幕府の指示によっ
て実施されて来た北海道十勝地方および根室、千島方面に及ぶ北方警備と三陸沿岸の警備など、海防のための火
薬等の軍需品製造は藩の至上課題であった。このため全領を挙げて対処した姿勢の一端であるが、藩は次第にこ
れを軍需品から藩財政再建の財源に転用、嘉永年間(
八四八
八五四
)から増産態勢を確立し、安政年間には我国第
『造硝
一の硝石生産地に数えられるに至った一
○その後慶應二年(一八六六)、その所管を海防御用所から国産方
備考』
御用所に移している。
御境関係、御銅山関係の諸職については各章に譲るが、前者については文政二年(一八一九)御境役が御給人
並みに取立られたことにより代官支配に入り、職務上では御境奉行の直轄下にあり、代官所の関係は従の支配に
あった。後者については御銅山奉行の直轄下にあったが、嘉永元年(一八四八)六月、御給人に取立られて代官
所の関係は従の支配関係に入った。
代官所の組織は明治二年(一八六九)五月二一日付をもって廃止され、代官以下の職制は全て闕役となった
(
「非佛
雑纂」
。
新県への業務引継ぎは四月中旬に行われ、南部家よりの正式な土地人民にかかる諸帳簿類引渡は四月二四日の