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花輪下役当分吉田新六毛馬内下役当分田口民人
同佐々木六郎兵衛同関善右衛門
嘉永五年(一八五二)三月に至り、以来所住居の者並びに所御給人は任命しないこととし、当時の花輪下役小
田島八十八、奈良円左衛門、川口勇司、毛馬内下役の児玉善重郎、勝又周治は休息を命ぜられた。その後嘉永七
年四月再び所住居並に所給人をも任命する旨の布告があったものの、両鹿角においては実施されることがなかっ
た。なおこの時点で下役の任期を三カ年とすることが明文化された。
下役の役料については、時代ごと代官所ごとにより一様でなかったことは代官の場合と同様である。寛政九年
(一七九七)二月、毛馬内代官所惣百姓より願書が出され、それを承けて同所下役に係わる代官の口上書が藩庁
に提出された。それによると同所下役は二名で、一名は専任、一名は牛馬役を兼任している。専任者には八駄を
支給するが、牛馬役兼任者には下役としての役料はなく牛馬一疋に付二文懸りである。御給人山本九一は寛政六
年以来牛馬役下役兼帯であるためその役料を支給されず、牛馬役としての五貫五六百文程度しか与えられない。
百姓達が山本九一の善政に報いるため、その任期中ばかりも牛馬一疋に付五文懸りに増すことを願出ている、と
いう趣旨であった。藩はその訴えを奇特としながらも、下役両人を共に牛馬役兼帯とし役料八駄は四駄宛、牛馬
二文懸りも折半する様にとのみ申渡した。後日同所下役山本九一、黒沢安左衛門に対し「御百姓共取扱方宜候ニ
付、御褒美の為御目録金弐百疋宛被下置旨」を達している(
「雑書』寛政九年
七月二七日条
○安政六年(一八五九)御定目による両
鹿角代官所下役の役料米は、花輪・毛馬内とも本来二駄片馬のところ倹約中に付き一駄であると記載している。