テキストを表示
八戸藩分立と鹿角
替が行われている。
意味である。盛岡藩の新田開発の中心は、いわゆる口郡と称された地域で、中でも和賀郡(一〇一・〇パーセント
兜)、稗貫郡(七九・一パーセント増)、志和郡(六一・三パーセント増)の三郡の増加が顕著であった。
見文四年(一六六四)九月二八世重直が逝いて、同年一二月次弟重信が遺領の内八万石
を、四弟直房が二万石(八戸)をそれぞれ相続した。これに伴って翌年八月藩士の知行
一、八月十五日南部左衛門佐様御領分に成候此方御給人六十人に替地被下、百姓小高書於御城毛馬内九左衛門申渡、
何もに渡之。
〓もに渡之。(『身帯』
右の外にも九戸郡との間に替地を申渡された者が多く、『雑書』および『系胤譜考』から確認できる異動人数
は一四〇名を超える状況であった。
この中にあって、北九兵衛は九戸郡小軽米村他の一、一八二石三斗四合を鹿角郡大湯村、風張村等一二カ村に
換地として宛行われている。鷄冠井四郎右衛門は九戸郡山田村・二戸郡浄法寺村から鹿角郡柴内村・草木村に換
「系胤
地がなされた
野田左近は寛文五年知行替の後同一二年に再度九戸より鹿角大湯村に換地されている
譜考』
『雑
〓)。ほかに鹿角との係わりを有する諸士の中には、従前鹿角に知行所をもつ一方九戸にもあったことから対象
書」
となった波岡六左衛門、臼井仁左衛門、馬場三之丞、野々村宇右衛門、中村武左衛門、浦上九郎兵衛、印東茂右
衛門、高野庄兵衛、河島角右衛門、塩川八右衛門、神尾権太夫、中川四郎兵衛、渡部小兵衛、中島伝右衛門、野
村嘉右衛門などが含まれている。
〓
異動対象となった諸士の特徴をみると、利直・重直代に召抱えられた者が多かった。このことは近世揺籃期に