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切米は高二石に対して現米一駄の支給である。一駄とは米俵を馬の背で運ぶ際二俵が原則であったことから冬

付けられ、従って一俵を片馬という。米一俵の量は「寛文年中迄ハ諸士俸禄扶持方は三斗俵、知行米三斗五升也、

「食貨

是より公米に擬して皆三斗七升とす」

)と伝え、『南部史要』は三斗七升の改正は寛文五年(一六六五)で

応』

あるとしている。家禄を変更することなく実収を増加させようとした藩主の配慮によるものとされている。

〓金方

金方は石高に応じて現金を支給するもので、金・砂金・銭支給の区分がある。金の場合、一両に付高五石と定

められた。砂金は「砂」といい、一匁が高一石と定められ銭四貫文に換算された。金は四進法で、一両は四歩、

一歩は四朱となるので、石高に置替える際の端数の調整が不便であった。そのため、十進法である砂が金の端数

補完のために支給される例もあった。

川口勇治

(万延元年『身帯帳』』)

右の例を計算すれば、二両は一〇石、一歩は二石二斗五升、砂七分五厘は七斗五升となって、その計は一三石で

ある。このことは逆に、高一三石とするために砂が附加されたものとも推定される。

また金方五石が一両とされた理由を『御国法御村取扱向古今之説』は、「公辺の御定法永壱貫文籾五石積りよ

り起りて百石永二十貫文積、永一貫文は金一両の積、則ち二十両に当れり」と説いている。一〇〇石に付二〇両

であるから、逆算して一両五石となる。なお永一貫文とは「永楽通宝」一貫文のことで、当初流通銭である寛永

通宝の四貫文に相当させたが、寛永通宝での換算は時の相場によって大きく変動して不定であった。