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天和の粟歩

天和二年(一六八二)八月八日、盛岡藩は歩附決定にあたって従前の検見制を廃止し、粟歩制

に移行することを布達した。通達に示された移行の理由は、検見制では検見終了まで苅入れが

出来ない百姓側の不便解消と、全額村方負担であった〓

見諸経費の削減を大義名分としており、凶作等の場合で

損毛高が嵩むような時には、望みによって検見を実施す

るというものであった。もちろん藩の側としても、検具

の繁雑さを軽減するほか、年々の収入を一定化する効果

があった。

仰出さる趣を申渡す覚

、毎年御検見を遣され候えば、百姓共作毛よき時分に苅仕

廻り申す儀も罷りならず、その上、検見之節人馬、米、雑

事物など、井に銘々百姓共、いらぬ寄合の造作なども諸事

物入りの費多く、弥近年ハ百姓ども勝手摺切れ申す由、間

召すに及ぼせられ候ニ付、延宝三年より九年迄、去年、去々

年の不作を入れ、七ケ年を粟に二歩増し仰付けらる可き事。

、粟を仰付けられ候共、大風あるいは大雨、洪水あるいは

大日損の時分、田畑損毛多く有るにおゐては検見を遣し、

その上にて仰付けらる可く候。尤、少分の儀は申上げ間敷

候。

、粟の趣は、当年作などよろしく御検見遣され候はゝ、歩

附も上り申す可きと思召され候へ共、百姓共御救之ため仰

第35表盛岡藩天和期の累歩算定基礎

(『御領分通分諸上納金銭雑記』)

註平均歩附合計欄の()内は、〓CAによって求めた数値である。

但し〓348余の〓

天和2年の粟歩は3.2.424であらねばならない。

△0.002の計算不突合但し、実績値ではない。