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御蔵入地の年貢

藩政時代は「米遣いの経済」と云われる如く経済の根幹をなすのは米であり、それ故に本

税である貢租は米納を原則としていた。いわゆる年貢米で、蔵入地(

地

直轄

)の年貢米は藩

の蔵に入り、給所地の年貢米は知行主の手に直接入る仕組みになっていた。従って、給所地の年貢は、蔵入地の

方法を準用してはいるが、知行主によって金納や銭納を主体にするものもあり、一様ではなかった。まず基本で

ある蔵入地の年貢米徴収方法からみることにする。

まず、広域的に「花輪通」の総蔵入地を対象として例示すれば次の如くである。『天保八年御領分中一村限御

蔵給所惣高帳』によれば、花輪通の総高は八、四五一石一斗二升(二戸郡田山村四七三石六八五を含む)であり、う

ち蔵入地は三、二九五石七斗六升五合(田山村三〇七石二二八を含む)、但し、不仕付・御免地高を除けば、二、〇

四五石一斗七升六合であった。これがいわゆる課税所得であるが、例えば天保三年九月一八日に藩は花輪代官へ

対し同年の粟歩を「去歩(

去年の

歩附

)より六分引にする」と指令している(

『雑

書』

○言葉を換えれば天保二年の粟歩は

六ツ九分であったから、天保三年は六ツ三分に確定したと指示したわけである。従って次の計算例から、天保三

年の年貢高は前年より一二三石二斗五升四合減高の一、四一一石七斗一升四合と推計されるのである。

天保2年

天保2年

計算例

干算例2045石1×6%=14714①

天保3年

2045石1×6%=1288.460②

①-②13.254

代官はこれを受けて村々の年貢高を割付け(例では去歩より六分引により算出)、「御判帳」(徴収令状)をもって

村肝入に指示する。村肝入はこれを村内の御蔵入百姓に明示し確認させた上で、持高に応じ個々の百姓に小割を