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「銭定」をも包括するとみられるが、狭義には嘉永三年『御高色分御役立大意』に蔵入地の場合として「一、金
目高と申は、御役高相勤め兼候ニ付、御年貢は高百石に付何拾何匁定、砂金壱匁銭壱貫三百文之積上納」とある
如く、米納が出来ない特殊事情などにより砂金納とするもので、実際には銭納にしている例が多い。特殊事情と
は、切添新田とか、田畑が錯綜している寡少高の場所に多く、あるいは不作などの際に、時限を定めて役高を色
除する時などにもこの形態が当てられた。なお『御金米銭御取締吟味方』によれば、砂金一匁当り、当初銭一貫
文の換算であったが、寛政元年(一七八九)に一貫二〇〇文に改められ、さらに文化一三年(一八一六)から
貫三〇〇文に改訂されたことが知られる。但し給所地の場合のそれは、管見する史料による限りにおいて蔵入地
中野
の如き変遷はみられず、明治に入ってまで花輪南部氏
)や毛馬内給人山本氏など鹿角に知行地を有してい
氏
た多くの諸士給人の実体からは、砂金一匁当り銭一貫文換算を踏襲していたことがほぼ推定される。
〔事例一花輪南部家知行所三ケ田村天保三年例〕
御金目高覚
百三十目伝蔵
一、弐石四斗一升三合庄太郎地計算〓369貫文
出銭〆三貫百三十七文
130目(匁)10貫文故に1匁=1貫文
130目(匁)0貫文故に1匁=1貫文
同定め栄助
一、弐石庄二郎地
〓貫文
出銭〆二貫六百文
同定め惣十郎
〓貫文
一、壱石庄二郎地
(天保三年『御収納米銭御割井諸上納差引書上帳』川村元家文書)
出銭〆一貫三百文