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片馬、一〇〇石に換算して一斗五升の割合で賦課されていた。これに対し盛岡以南の郷村には新山舟橋料を負担
させていた。その後享保年間頃から、花輪通については高一〇〇石に付一斗四升八合、毛馬内通で同一斗五升八
合の割合に改訂されている。
なお、米定高と金目定高に対しては諸納米は免除されていた。
鹿角御買米制度
盛岡藩の御買米制度には二様あるが、いずれも租税でないとはいえ、租税と同一の性質を
もって農民に賦課されていた。
盛岡藩において一般的に御買米制度と言われるものは、江戸の市場に売却して利益を得るため、領内花巻二郡、
郡山四ケ在、盛岡近在、雫石、大迫、沼宮内通の村々から二万石の作徳米を強制的に買上げた制度のことである。
『盛岡藩勘定所事務分掌』によれば、村高に応じて高一〇〇石に付何駄と高割し、買入価格については「以前の
米相場に基き、大概一駄に付、一貫五百六百文積にて御買上げ仰付けられ」といい、また「不作の節は其年柄に
応じ御買駄数を相減じ、御直段も相増し仰付けられ候。格別不作の年作には御買米仰付けられず候事」ともみえ
る。しかし「時相庭にもござなき故、御百姓共迷惑仕り候と申しながら、古来よりの御仕成りの上、公事の割付
「郷村
ニ付、御定例に相成り候こと故、子細もござなく候」
一の意見もあり、大概時価を下回って買取られる〓
私記』
合が多く、農民にとって負担は過重であった。
次に、もう一方の制度とは尾去沢銅山向けのもので、その調達地域を両鹿角に限定した、御銅山御買米ともい
う鹿角御買米制度である。
一、米五千駄代一駄ニ付二貫百文