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で一、九〇〇駄になり、代金については、通年平均で一駄に付定例御買米は一貫二〇〇文、別段御買米は一貫七
〇〇文であった。因みに同年一二月の両鹿角の御蔵米相場は同二貫七〇〇文とあることからみれば、御買米は出
較にならない廉価買上げであったことが知られる。さらに言えば『雑々秘録』に「代金御渡しなさるべき時節に
なれば、諸上納物エ差引き、彼是の名を付け候て、竟には百姓の手へ一銭も落さぬ様になること云々」とある。
仮りに常例のことではなかったにしても、右の如き風評があるに至っては、まさに苛酷の一語につきる取扱いと
言うほかはない。
、御国中在々にて夫々難儀致し候は、南通は御買米、大豆、三閉伊ニては漁物御買上、両鹿角は御銅山御買米也。
是もその時相応の相場を以て直段も御極、代料は相違なく御下げ渡し成され候御仕法なれば、格別迷惑いたしべ
事にも無之筈なれども、れんれんの御仕成りにて直段は殊に以て下直に御取極め成され候上、代金御渡しなさる可
き時節になれば(中略)、年毎に第一の裸過の様に一統心得居る事なれば、自然と上納不進にて未納勝ちに成る事故、
二重にも三重にも催促を廻し候事故、日用代等差畳り、いよいよ村中迷惑致し、又扱向きも御手数に成る事也。
(中略)百姓の痛みにならざる様、程能き御仕法にて、代金相違なく百姓どもの手に入る様に成され度き事也。
(『雑々秘録』)
次にみる資料は毛馬内通の百姓達が代官所に提出した願書の一例である。
恐れ乍ら願上げ候事
毛馬内通御代官所去ル申酉年に仰付けられ候尾去沢御銅山御入用両様御買米代、申年分弐千四百六拾六貫文の内当八日
金三拾三両御下銭下置かれ候。残り弐千弐百四拾壱貫六百文井ニ去酉年の分弐千弐百七拾壱貫文、都合四千五百拾弐貫
六百文、先達テより再應御下銭成し下置かれたき旨、願上げ奉り候得共、今もって御沙汰も下置かれず、御百姓共迷惑
仕り候。且つ、去暮御役御金銭米納井に当春夏上御役銭、御高割金未納の分、当夏より日々上納方厳敷く御取扱い成ー
下され候得共、近年御百姓共一統疲労仕り居り候ことゆえ皆納にも至り兼ね、且つ、この節柄、才覚手段も届兼ね上納