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これに対して、南部方は次のように応酬した。
秋田南部境目秋田領より目安申ニ付返答乍恐言上仕候
秋田領十二所と南部花輪ノ堺目十文字野と申所よリ大葛金山迄峯切ニ御座候由申上候へ共、前代ノ堺ハ飛替川原館
同梨ノ館、捨神、凡合と申所より館菱山峯切出羽奥州ノ堺ニ紛れ御座無ク候。御尋ニ於てハ申上け可く候。先年絵〓
取替し候已後ハ三屋ノ沢論地ニ罷成候ニ付此方一円手入申さざる所、近年ニ至り当領村々ノ上迄論地と申懸られ草薪
取申す可き所も御座無く迷惑仕り候。次ニ論地ニて金堀申すと書上申され候ハ西道金山ノ事ニ御座候哉、此山ノ儀四
十七年以前ニ堀始メ唯今迄怠惰無く堀申候。(白根西道両山を権現様家康公より拝領した経緯を述べ)旁以て南:
西道金山と申す儀世上ニも隠れ御座無ク候。然ル処前代より十文字境目ニて其證拠之れ有る由申上られ候。右拝領西
道金山跡置此方西道口村々ノ上迄指越申懸られ十文字野を堺と有て證拠有間敷事ニ存候。秋田領大館と南部毛馬内ノ
境ハ前代より札立場、袈裟懸坂、践ケ峠峯切ニ御座候由申上られ候得共筋無き儀ニ御座候。前代より両国ノ境ハ大
神其後子細御座候て改め楢柏木と申所より北ハ長木嶺切践ケ峠、南ハ三森嶺切、韮ノ平、大森、二ツ石、館沢迄ニ御
座候事紛れ御座無く候。其子細御尋ノ上申上可く候。次ニ駕籠屋ノ沢と申所ニ当方より新田立て候を論地ノ由御改め
二付相止め候由と申上げ候。籠屋ノ沢ハ狭キ所ニて田畠抔仕る地形ニ御座無く候。拒屋ノ沢と申所ニ小屋懸け新田仕
り候。(先年取替した絵図では長木沢は論地でなかったが、絵図は盛岡の城焼失の際失ってしまった)何角申す儀御
公義憚りニ付右ノ小屋引キ申候事。
、(先年の切支丹穿鑿出入の模様を詳細に述べ)御當地ニ於て各様御扱いを以相済申上候ハ、ケ様ノ儀申上候もい