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も強く曲がり、共に根石を流失してしまった。この時の御境

奉行口上書に「同所七間倉、上石流失、根石六間流失、右十

間倉裏通先年御普請跡、此度洪水ニて欠入場所長サ四拾間余、

乙戌年御普請蛇籠留ノ上下ニて三拾間程欠入申候」と述べら

前掲

れている(

○。

書

秋田領葛原村の田地用水は米代川から引いていたが、正徳

四年(一七一四)川形が変るに伴い花輪古人と相談の上川中

へ一〇間の仮留を設けた。享保八年(一七二三)その仮留で

も水が入らぬようになったので、境沢御墨引の川上南部領を

借地し川原を堀割し用水堰を立てた。長さ一二六間、幅三間、

いわゆる葛原村貸堰である。

第5図10本の御境柱絵図(盛岡市中央公民館蔵)