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第三節藩境線の管理
一、藩境を守る人々
御境御用念入に勤む可き事
藩境の維持管理は、藩にとって重要な施策の一つであった。従って城・郡代や
御境奉行の任免には少なからず配慮することを常とした。宝永七年(一七一〇
)
九月、桜庭安房の病死するや藩老から坂牛孫助に対し「知行所毛馬内御境近所のこと故、跡式の決まらぬ間其方
を遣わし置かれる」旨申渡した。これは先年桜庭兵三郎死去の際矢幅八右衛門を遣わした例と同じであった。坂
牛孫助は翌々一一月安房の跡目が桜庭兵八郎に仰付けられる迄毛馬内に留まっていた。兵八郎は相続と共に「安
房存生ノ通鹿角御境目御用相勤候様ニ」と命ぜられた。その兵八郎も不幸翌宝永八年四月に病死したので、川島
「御役儀被
〓左衛門がその家督の定まる迄毛馬内に罷越し支配仕る様にと命ぜられている(
)。同年(
四月、正徳
元年と改元
仰付之類"
六月九日、中野吉兵衛広康が志和郡へ知行替となり、兵八郎跡式は桜庭次郎吉に仰付けられたが、御境奉行川守
田弥五兵衛を通じて「花輪・毛馬内御境御用、追て御役人仰付けられる内、御足軽・御町共ニ、只今迄ノ通何も
『御家被
念入相勤申す可き由」達があった
)。さらに同年一一月五日郡代金矢与一兵衛、下條図書へ次のよう〓
仰出』
前掲
仰渡されている(
〇。
書
鹿角花輪御郡代弥相勤む可き事、中野吉兵衛所替仰付けられ、花輪しまりのため壱人宛絶えず差置かれ候。依て、