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指伝兵衛)、御墨引通例年の如く双方古人が立合
い去る二〇日より二一日迄草刈払い首尾よく済ん
だこと(寛保元・六・二四古人頭小野五郎兵衛)、花
輪毛馬内御境御墨引草刈りが例年の通り済んだこ
と(寛保二・七・一古人頭沢田助三郎)、米代川洪水
御境柱一本目より六本目迄流失し扇袋土深井通普
請所一七カ所破損のこと(寛保二・八・五古人頭小
野五郎兵衛)なども記録されている。そして寛延
一年(一七四九)一一月二〇日には、八木橋茂右衛門・簗田
平右衛門に対し「其方共鹿角御境役古人頭ト唱候処、向後前
ノ通御境奉行と唱候」ことを仰出されている。
春秋二回の御境奉行定例の御境廻りは、かなり仰々しい人
数を従えて行われた。『鹿角御境留書』(寛政八年)には「古
来より御境奉行御郡代兼候時共ニ御境廻り惣人数定目左之通
として、上下拾弐人御境奉行中・上下八人御代官中(宝暦八
年より御検約中七人となった由)・上下八人御山役両人(右に同
じ)・上下弐人御物書・上下六人古人三人・六人御山見・弐
(盛岡市中央公民館蔵)