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大地村中野村万屋村赤坂村芦名沢村小坂村

局屋村鏡田村尾去村谷内村白欠村長内村

細越村余路米村砂子沢村濁川村(二六カ村)

狐平村三ケ田村川邊村夏井村長牛村

花輪通

長嶺村松館村花輪新田村三ケ田新田村(田山

湯瀬村小豆沢村大里村花輪村神田村甘蕗村

村を除き二一カ村)

安永九年(一七八〇)『邦内郷村志』および享和三年(一八〇三)『御領分中本枝村付』には、両鹿角六九カ村

(田山村を含め)を本村としてあげ、それぞれに周辺の零細な集落を付随せしめ特に後者はそれを本村・枝村の関

係で捉えている。この両者を比較する時、二三年後の享和三年において大半の村がその家数を減少させているこ

とに気付かされる。その理由はおそらくその間に起った天明三年の大飢饉と、寛政に至るまでの連続的な凶作・

不作によって復旧が捗捗しくなかったことに因るものであろう。

『邦内郷村志』安永九年(一七八〇)改

岩熊改

湯瀬村三七(二七)内居熊井

石通

内内内

才田三

大岩平

内小山

一一八一一四軒

和田

大里村六一(五一)内玉内

内玉内八

追〓玉和碇小大才石居

追〓山玉和碇小大才石居

弱田内田山平田通井

搦〓田内田山平田通井

『御領分中本枝村付』享和三年(一八〇三)改

軒本村

湯瀬村三一(二八)枝石通

才田一

一四一軒

小豆沢村四五(三八)枝碇〓

山玉一碇才石

一本木一

大里村六六(五四)枝玉内一一