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御勘定奉行え吟味之儀相達、御勘定方三人立遣吟味致させ候処、土地相応之御場所ゆへ穴堰堀貫水揚普請成就ニ至候ハゝ
旧畑開発相成申す可く、弥水勢宜候ハゝ畑返高モ少からず可有之旨申出候段御勘定奉行書取を以申出候間、四月廿
日之御便之節江戸え相伺候処、願之趣深切之申上方ニ候得共御差支之儀有之候間相扣候様御沙汰有之旨申来候間詰合ニ
付申達之、内役人共えモ為申知之。
大湯南部北氏が穴堰働方と菩提野披立方を願い出たため、藩では御勘定方三人に現地調査させた結果十分見込
があるとの報告があった。この旨江戸へお伺いした処、お差支えがあるから控える様にとの御沙汰があったので、
家老として詰合中の右近に達しかつ大湯南部家の内役人へも知らせるという内容である。どうして南部右近の願
書が受理されなかったのか、察するにこの年はいわゆる巳年の飢饉とされる程の大凶作で、提出時において既に
その事が予見されていたからかも知れない。
安政四年(一八五七)八月、桜庭祐橘は次の願書を提出した
高橋
家文書
)。
乍恐奉願上事
私儀新田開発之儀心願罷有候処、先達て銘々自力を以新田開発致度者ハ願上申す可く、尤是迄御定目御礼銭差上来候得
共以来御礼銭御取立成されず候間、場所見立有之者ハ願上開発致す可き旨仰出され候。依之毛馬内通御代官所小平村之
内菩提野ト申所土地相応ニ御座候得共用水無之ニ付、鍵屋沢ト申所え穴堰堀通小折壁川より上水仕候得ハ田畑披立相成
可き場所之趣ニて、先年願上穴堰普請え取付堀通候者有之候得共、堅石等之為見込通堀抜兼返上仕、堀残之分弐百三拾
間程も有之趣承知仕候。随て土地相応之場所用水配方難渋ニて開発ニ至兼候儀歎かわ敷事ニ御座候間、仕法も有之可ー
ト色々相考えさせ候処、穴堰堀抜上水配方之見込も有之ニ付成就ニ至申す可しト存じ奉り候。苦しからざる御儀御座候