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立に及び兼ねる旨を申上げた処、年数がかかっても披立てる様にと再三のお諭であった。右の場所は年を経て柴

原・茅野に変わり田・畑形が見えない程の荒所となっているので、新地の披立同様のつもりで着手しなければな

「雑

りないが、来年より三カ年中自分物入を以て披立て差上げたい、と申し出ている

○天保四年巳年の飢饉以

書』

来不仕付地となった田畑の荒廃ぶりが目に浮かぶようである。

大明三、四、五年の大飢饉の際にも不仕付となった田畑が多く、その後披立に努力した毛馬内御代官、仕付懸

り役人に対する御褒美の記事がみえている。寛政九年七月毛馬内御代官菊地矢柄に対し、天明大飢饉以来不仕付

となっていた御蔵入高の内五三石六斗余、給所・寺社・与力高の内二五四石五斗余が去年から仕付となった旨を

賞し金五〇〇疋が下され、同代官所下役山本九一・黒沢安左衛門に同様「御百姓共取扱方宜候ニ付」として金1

〇○疋の賞があった。次いで同九年に御蔵入高・給所高等合せて二〇二石八斗が仕付となり、翌一〇年に仕付と

なった七五石三斗余を合わせ、三カ年間で不仕付高都合五八六石三斗余が披立となっている。寛政一二年には同

じく毛馬内通御蔵・給所高共三九石七斗余が披立てられ、御代官村木周平、代官所仕付懸り豊口弥三左衛門、西

村吉左衛門、木村丹右衛門、大森佐市が夫々賞された。なおこのような不仕付地の披立・仕付について享和二年

同三年、文化元年、同二年、同三年、同五年、同七年、同九年、文政一二年と毛馬内代官所および仕付懸り御給

人が同じく賞詞を受けている(

「雑

書』

。またこれらの仕付高の分は仕来りによって三カ年間の役立が御免となるの

が例であった。

匹世を通じての災害とその影響による不仕付地、おもな披立を『雑書』記事から抜いたのが第四表である。そ

の下欄には災害のうち人為的ともいえる火災の、特に大火となったものについても掲げてみた