テキストを表示

飼育

(

〓る)のに障る程飼料が足りなくなってきた、よって三カ年を限り自由に他領払してもよろしい、という觸出

する

)である。牛は山中急坂の上り下りにつよく、とくに銅山の薪炭、諸物資、銅鉱等の搬出搬入に多く使われてい

たといわれている。

幕末における村々や在町の耕作・生業関係などは、鹿角を通過した中央文化人の紀行、旅日記にもよく描写さ

れている。その一例として松浦武四郎『鹿角日記』(嘉永二年)のうち産業にかかわる部分のみを抽出して左〓

掲げる。彼は奥通七戸から十和田湖を経て七月一九日鹿角へ入り、同二八日に湯瀬から郡外へ去っている。

○白沢村此村麻を多く作りけり。其外呱肥芋、粟、稗、黍等を作りけり。男共は山ニ上りて畑焼を渡世に致す由。

○ヲラクマヰ村麻、黍、粟、稗、呱肥芋多く種たり。此処を越てしばらく行。田有。此処に出少し平地も有。

○ホウキ端村何れも農家山稼也。田も有。畑も有。麻、粟、稗、呱肥芋を作りける。此処追々土地開けよろし。

○大湯町内旅籠屋弐軒、豆腐屋、小商人等有。温泉場人家七、八軒。二階作りニ致し湯治人少し見えたり。

○毛馬内旅籠屋壱軒。小商人多し。又紫木綿の名物にて市町染屋多し。扶持家の邸内を見るニ皆大なる池を二ツ三ツ位

ツツ堀て、是に鯉を養ふこと百頭、弐百頭とも育ふ由。扶持家は多く是を経済の為ニす。又邸広き故ニ桑を作り蚕養え

〓るも、又紬を織出すもあり。又市中麁末なる重箱、膳椀を塗て鬻ぐ家有。其直段甚下直なり。名物、紫木綿、麻、些

根、鹿角霰、右三品共ニ毛馬内を産所とす。並びに麻をも多く作り出セリ。

○冠田村村内ニ小川有。又小商人も壱弐軒。(鶴田を越て)牛馬等多く山より薪を負て来りけるニ連て行。

○花輪小商人、旅籠家、塗物細工、麻物、紙問屋、旅人宿、穀物塩屋等皆運上銭取立所。別て判紙改所、紫根改所、

馬改所、材木改所等是又懸札を懸る。牛馬之出入を改て運上を取立。別ても可笑は当所目明と云る札有。此辺の近郷ト

り日々出入する故ニ随分繁華の地也。又銅山鹿沢辺よりも此辺りへ買物ニ出る故ニ小間物荒物之店も有。何品ニよらず