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違反の材木はすべて押収する。新山(盛岡)舟渡にて歩合の材木を差上げたならば残り材木他領出の証文を発行
そる、などの条項である。運上は現物納入が多く、初めの五分一役(全量の五分一を運上として納入)が九分一役
に改まり、延宝五年後半八分一となり同七、八年頃より七分一に再々改定されたようである。
また延宝八年三月の山田勘兵衛に宛てた遣証文には、鹿角古遠部・新遠部杉山の寝木・埋木・風折・剪捨材を
七分一之運上にて三カ年間請けたいと望むので、当申の四月から戌の極月迄三カ年遣わすこととする。定の外生
木は一本たりとも剪ってはならない。七分一の運上材木は新山舟渡にてその類木の内から上木を取上げる。剪出
した材木を他領へ出す時は届出により木数を改めさせ川通の手形を与える。鷹ノ巣・水ノ目に構い無き場所で代
出すこと。定めの通り戌の年中は作業をしてよろしいが、年を越えたならば縦令切置いた材木があったとしても
一本も搬出してはならない。山入したならば奉行人の指図を受け、特に境目御墨引外へ杣人を出すことは無作法
以上
の儀であるから出してはならない、などの条々を挙げている
「雑書』
)。
なお『雑書』寛文一二年八月に「鹿角新渡部山へ八月三日より津軽杣三拾三人、御当領杣弐拾三人〆五拾六人
杣入申由」「新渡部山杉杣取合候事、三人津軽杣三十八人御当領杣〆四十壱人入候由」と、津軽杣の山入を記し
ている。
二、盛岡藩の林政
山林種目
脳岡藩の山林政策は、延享二年(一七四五)一一月の「被仰出」に端的に示されている。即ち寛
水七年(一六三〇)以来の通り大小諸士の知行として田畑の高のみを与え、山林・広野等は蔵方