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制をみても、享保四年(一七一九)四月諸御代官・御山奉行に対し桧・杉等の植立は五分五分か四分六分の御取
分であったが、以来二分は御用木八分は植立者に下さるので、多少によらず植立に出精する様にと仰出されてい
る(
「御家被
仰出』
〓)。その後も屡々山林の保護育成について被仰出があり、文政三年(一八二〇)八月には御山奉行に宛
て、御山立林に誠精心を用いると共に百姓の家作に杉・桧の使用を禁じ密木を取締ることを厳達している。
延享元年(一七四四)三月桜庭安房は「毛馬内御館家御武具蔵井棚塀殊ノ外大破」したので「手前立林小瀧山
ニて」(傍点筆者)普請入用諸材木を剪り地他払したいと願いでた。宝暦一三年(一七六三)三月の同様願書にも
「拙者知行所瀬田石村民部沢ト申所先祖共代より松ノ木立林置」「少分ノ儀ハ御届申さず剪出させ相用い申候」
と認め、明和二年(一七六五)八月の口上書に「小瀧山七瀧山民部沢山右三ケ山ハ先祖古兵助代百姓共え立林申
〓置、御山奉行支配ニも御座無く手前山守申付、毎々年々繕普請等ノ節ハ御訴申上げず剪取相用来り候」と記し
ている(
以上
『雑書』
日)。山林藩有の原則を立てながらも、かなり後年迄桜庭氏のような御預ケ館をもつ高知の家臣には
知行所立林の伐採にある程度の自由を黙認していたと受けとれる。享和二年(一八〇二)二月北監物が「大湯御
立林ノ外来満山立林より知行所井大支配え普請等、手前極印ニて差遣来り候」として伺を立てたが、伺の通り許
され特権ともいうべき「手前極印」を認められている(同書)
山林管理の職制
藩庁における山林監督事務は御勘定所に属し、その担当である山林方や植立吟味役を御勘
御勘
定奉行(
)が統括した。夫々の地方に在って関係法令の徹底、伐木の許可、運上の徴
定頭
収等は各通の御代官がその属僚である御山奉行と共に行った。御代官の下に御山奉行、植立奉行、御山守があっ
て山林経営の実務に当っていた。