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なお元治元年一一月から、諸木植立に関する事柄は御国益御用所の取扱うところと替った。

御山守の制はいつ頃から設けられたか明らかでないが、おそらく林政初期からの存在であったろう。『御家被

仰出』寛保元年(一七四一)五月六日の項に、在々共に御山の諸木を剪尽し御用木は勿論薪炭の用も弁じ兼ねる

有様なので「御山奉行は申すに及ばず、山守等迄随分心力を尽し御山林相立候様仕る可く候」「御山守常々由断

無く見廻り野火焼無之様急度申付く可き事」「御山へ立林候御山守へ拾分一下し置かれ可き事」等の指示があり、

囘書寛政六年(一七九四)七月二九日には御山守は「日々懈怠無く山中相廻り候様仰付けらる」「御山守共銘々

見守り候御山之外、他山たりとも猥之儀有之に於ては、遠慮無く御山奉行え申出可き事」を厳達されている。

雑書』寛保元年一二月の項に、鹿角夜明嶋之内、岩屋沢、大堀内沢、小堀内沢、赤倉沢御山守清蔵に対し御

役料一カ年三駄を下される旨の記事が見え、同書寛延三年(一七五〇)一〇月の項に大湯小国御山守箒畑村助九

郎三四才が欠落したと報告されている。同じく安永二年一一月には花輪三ツ屋沢村御山守孫助・長右衛門・浅岡

十次郎、黒沢御山守六助・与助、槇山御山守左次右衛門・作助へ去年不作に付夫々御米を貸与すると記している。

幕末の諸木植立奨励によって御山守の人数は著しく増し、かつ小規模の立林にもそれぞれ御林守が置かれた。毛

「鹿角市史資料編

馬内山本家文書の内嘉永元年申八月『毛馬内通御代官所惣御山井立林木数改書上帳』

)毛馬内村・

第十四集』所収

小坂村・万谷村・柴内村・小平村・草木村・冠田村・大地村・箒畑村・上台村・高清水村・桜庭肥後知行所から

検出すると、御山守八四人・御林守八七人の多きにのぼっている。

植林の奨励

藩は山林の保全と諸木植立に意を用い屡々その管理と植樹促進を命じていることは前にも述べ

た。寛保三年(一七四三)、杉・桧・桂を御留木として剪出すことを停止し、かつ川筋に柳等