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○安永三年四月
女永三年四月兎尻御山より十和田御山迄雑木津軽出春木につき、盛岡十三日町善蔵(善兵衛とも)が五カ年中御
礼金一、二〇〇両で去年春より請負いながらその納金に難渋していた処、代わって本町吉郎治が当年より五カ年中御
礼金一、二五〇両で願い出て許されている(『雑書』)。
)同年五月田名部大畑清右衛門が願い出て、去年八月から新遠部御山を御運上山に請け材木を秋田へ出し商売して
いるが、他領での交渉もあり材木吟味のため山越えし昼夜を分たず山中を駈廻っているので帯刀していないと下知が
行届き兼ねる。相方津軽黒石町金兵衛が帯刀で勤めており、右御山働き中苗字帯刀御免にしていただき度いとのこと
で、願いの通り許す旨御勘定頭から申渡された(『雑書』)。
)安永五年一一月毛馬内吉郎兵衛が、新遠部杉御山を去る同二年より御運上山に請けていたが近年凶作が続きこの
儘では御礼金上納も成り兼ねる次第なので、右御山にある槻五尺廻り以上を御礼銭三五貫文で請け、秋田出商売仕り
明年の御礼金上納の助けにしたい旨を願い出て、許されている(『雑書』)。
)安永七年三月盛岡六日町与八が大湯御山の内七カ山を請け、杉柾挽出し御用柾一二〇万枚御買上げとその外残木
は両鹿角と奥通にて商売致し度いとして、御礼銭五〇貫文差上げることを願い出て許された(『雑書』)
○同年九月毛馬内町藤兵衛が砂子沢杉山を六七年前に請負った際の剪残し木から、杉柾桶木に取り両鹿角、盛岡奥
筋へ商売致す可く、二カ年中御礼銭一〇〇貫文差上げることを願い許されている(『雑書』)。
)安永八年八月毛馬内町清九郎が新遠部御山杉立の外清水ケ峠より先西ノ又・東ノ又嶺続両沢残らず、古遠部御山
の内四ツ熊沢残らず、御境際三間除き槻・桂の外雑木残らずを春木に剪出し津軽へ引越え商売致し度く、二カ年中冥
加御礼銭二〇〇貫文差上げることを願い出た。請合同町金次郎、銀主は津軽黒石最上屋勘七である(『雑書』)。
)安永一〇年二月江戸に於て佐竹右京大夫留守居佐藤又兵衛より盛岡藩留守居中村弥市へ、来満沢山伐出の御用木
米代川下げについて、御墨引の御定杭等に相障らざる様「演説書」を以て申入れがあった(『雑書』)