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一、花輪御境目他領へ此方之牛越し、ひゑ畑喰あらし候ニ付、牛飼井御境目張番之者籠舎申付け置き候処(略)
(『同』宝永六年八月一一日条)
(『同』宝永六年八月一一日条)
現小
尾去
ふけの
また地名として今なお残っているものに、牛馬長根(〓〓)、牛道長根
)、牛谷地
坂町
沢
嶺
湯近辺
などがある。口伝によれば、尾去沢の蟹沢村対岸の牛川原には鉱山の荷運びに使役される牛が沢山いたことから、
地名としてこう呼んだという。重量の嵩む鉱石や荷物運搬は、馬よりも牛が重用されたものと思われる。民謡で
も「金のベココ…」に始まる「牛方節」が親しまれている。
明治五年、秋田県編入当時の調査には、他のどこにも見当らない牛の飼育頭数について、次の村々の分が記さ
れている。
)
尾去沢牡牛七十一、牝牛三十三、合計百四頭長内牡牛のみ六頭三ケ田牡牛のみ四頭谷内牡牛八、牝牛四、合計十
二頭総計、牡牛八十九、牝牛三十七、合計百二十六頭
(『明治五年調査による秋田県管轄第二大区第七小区地図表』』)
これは旧花輪通の分だけであるが、旧毛馬内通にあった上台村には牛方を職業とする人達がいたということか
ら、毛馬内通にも相当数の牛が飼われていたと思われる。