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四年とされている。これまで歌代氏は田中氏と同一であると言われていたが、十二所長興寺殿鐘の銘書により、

別系であることが証されている。

鋳物師田中彦兵衛

田中氏の祖について、文化一二年(一八一五)と思われる墓誌名として次のように記さ

れている。

南部鹿角郡瀬田石邑田中彦兵衛保矩は藤原姓の末裔なり。河内国丹南郡狭山郷日置の庄に居住し而世々鋳物師を業とせ

り。文治五年勅命を蒙り而金燈爐十二を鋳造しこれを献じ奉る。其功に因て江州栗田郡高野之庄辻村を居住の処として

賜る也。……愚父より四代以前の祖はすなわち此家の出なり。享保十二年此の瀬田石邑に居住、鋳物師を業と為す。

(『諸用書留帳』田中家文書)

この墓誌銘は平左衛門彦助の銘記によるもので、彦兵衛保矩とあるのは「愚父より四代以前の祖」とあるのと

同一人である。奈良寿氏が読み取った毛馬内常照寺の墓石の碑面には

先祖ハ江州栗太郡高野庄辻村之生□□、享保二年三月

瀬田石村下向、鋳物師為営業住居、有故而文化□年十

二月毛馬内町住居、仍而先祖之碑建法名者也。

文化□歳田中平左衛門□

とあり、田中氏の瀬田石村定住について大きく参考と

なる。また瀬田石での最初の作鐘の専正寺殿鐘には示

第6図谷内延命寺の旧寺鐘

文元年と「田中久兵衛藤原久長」の銘が入っている。