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次郎について「浜田村鍛冶吉右衛門子」とあり、神刀一腰を献上したと書かれている。

なおこの打刃物の技術は、後の日清戦争時に古川村に設置されたと言われている鍛刀所につながるものと思わ

れる。

鹿角の刃物

盛岡藩士横浜家の給所肝入であった谷内村阿部家の『旦那様案詞帳』に、鹿角の鍛冶製品

がしばしば横浜家からの注文によって送られている記事がある。

なお横浜家は高二七〇石、花輪通では長内村に一三四石三斗六升四合、谷内村に八二石一升五合、川辺村に三

石六斗四升九合の地所を持っていた(

「南部盛岡藩士御給人等知行所書)

工・天保一〇年』郷土史叢4

)。

○文政一〇年(一八二七)五月朔日御新造様へ

一、先頃差上候鉄物売上別紙之通御座候。

一、五百文肴鉋丁

一、弐百文菜切鉋丁

一、弐百五十文小刀一〆九百五十文

一、此度差上候鉄物代覚

一、百七拾文栗むき鉋丁

一、百七拾文さ志ミ鉋丁

一、百三拾文小刀壱丁

一、弐百八拾文木割壱丁〆七百五十文

○文政一二年(一八二九)三月六日横浜和蔵様へ

其節被仰候庖丁弐枚、内なきり庖丁弐百文、肴庖丁

弐百三十文〆四百三十文ニ御座候。

○同年四月二五日

一、鍬壱丁代四百八十文くわ台弐丁代七十文

〆五百五十四文