テキストを表示

限り、年数後も造酒し兼ねる時は御証文を取上げ、決して追願は認めない旨御町奉行に申渡した、との記事がみ

えている。

〓三年二月、同じく御勘定頭の伺書に、御城下および在々の糀室役銭の取立請負を一カ年御礼銭二三〇貫文宛

年々前納を以て御城下久慈町儀七に申付けていた処、旧腦前納は差支える由の願出があったので御証文を取上げ

た。よって各代官所ごとに請負を望む者があれば入札の上申付け、望む者がなければ御代官取立てにする旨を達

したところ各通ごと次の様になった、として鹿角の分は

花輪通一、拾七貫五百文御所請負

毛馬内通一、弐拾四貫四百九拾五文御代官取立

と書上げている。花輪通と毛馬内通の比率が、ほぼ四対六で毛馬内通が多くなっている

天明二年一二月、花輪代官所管内の酒屋嘉助、新助、長右衛門が願出るには、清酒ばかりでは売行き悪く捌き

兼ねて御礼銭上納にも迷惑が及ぶ。ついては御請石の内半分は濁酒にして払出し度く、当年より五カ年間冥加

(献金)として一軒につき一カ年一〇貫文宛差上げる、として願の通り許されている。天明八年三月には、毛馬内

町喜兵衛、忠兵衛、弥助、喜三兵衛が願出て、去る五年より濁酒商売御礼銭一〇〇貫文宛で申付けられてきたが、

去秋は作柄良く自家用酒や新規の造酒屋も出、濁酒は不捌となったので、右御礼銭五〇貫文に引下げていただき

たい、と申し出吟味の上で許された。

また同年一〇月、花輪町酒屋左兵衛が造酒高七五石で濁酒商売も行っていたが、高直の清酒が不捌になってい

るので石数を半減して下さる様願い出た。吟味の結果、半石とはなし難く三カ年中五〇石にしてはいかがであろ