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〆壱貫五百三拾弐文

外ニ百文、毛馬内より花輪迄送る馬壱疋代

〆壱貫六百三拾弐文

右之通御初穂井ニ御供料米代共差上申候。以上

寅五月十八日毛馬内通酒屋年行司善治印

法蔵院名代を花輪年行司まで送っているが、花輪の年行司や酒屋人数は記されていない

松尾神社の御札配りは、毎年の様に領内を廻っているが、弘化元年(一八四四)の小濱屋の書留には

盛岡松尾神社御祈祷御守札引配左ニ

一、弐百三拾弐文大和屋治兵衛小濱屋茂助泉屋五兵衞

一、五拾文濁酒屋十郎兵衛同幸松同徳右衛門

と記され、弘化元年の花輪の酒屋は、大和屋、小濱屋、泉屋の三軒、外の三軒は濁酒屋であった。この中で当然出

て来なければならない小濱屋又右衛門の名が見えないが、分家前の弟茂助に店を取仕切らせていたものとみえる。

なお花輪の酒屋年行事は文政九年以来、藤兵衛・又四郎・喜八が交互に行ったとある

酒屋免許状の事

大保一四年(一八四三)、今迄仮証文で酒屋を営業していた鹿都屋善治は、次の通り継証

文の下付願を提出した。

恐れ乍ら願上奉る事

私儀何之世渡も御座無く候ニ付、毛馬内町に於て造酒商賣仕度く、去ル天保十年子十月より寅寒造酒迄三ケ年中弐拾五