テキストを表示

密造酒に悩まされた酒屋

藩政後期は度重なる凶作によって領民の生活が疲弊し、酒を買入れて呑む者は少なかった。従って造酒の多く

は、奥通りの鉄山や銅山の需要に宛てられていた。

酒値段の高騰につれて、無認可の密造酒が多量に出まわってきた。嘉永四年(

八五一)密造酒の増加に困った酒屋一同は、その摘発に乗り出した。当時自家用

濁酒については余り厳しい規制はなかったが、税を負担する酒屋を保護する意味から、御役銭・御礼銭を納めて

いない密造酒の販売は禁止されていた。密造酒の醸造はおもに酒屋証文をもたない麹屋によって行われていた。

摘発を受けたのは

一、元酒六斗内七升五合不足横丁半

一、同八斗同利

一、同九斗内壱斗三升不足同宮之助

伊四郎印

治兵衛印

茂助印

酒屋年行事徳蔵

(宿老井上長左衛門、検断佐七、同市郎兵衛、同善平に宛てられている)

(『酒屋御用書留帳』田村家文書)

〓

この願書は代官所に取次がれ、違犯者は科料、戸締めを仰付けられたが、其の後も密造は絶えなかった。