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一、白大麦八升

一、黒大豆八升

右弐品うるかし、ふかしたてへふた桶へ入れ、糀四升入れ能くかき交ぜふた桶へ入れ、糀四升入能くかき交ぜ、ふた

致夜着ニ而包ミ、十二時置く。作り桶ニ右塩水糀共入てかき廻し、日に三度つゝかき廻し、尤七日目ニ袋ニ懸ケ、生

酒弐升入れせんじてよし。以上

右の様に製法の書留があるだけで、醸造したという記録は残っていない。町井佐助、吉之助父子は、天保一一

年から酒醸造のかたわら、醤油の醸造を計画していたと思われる。

花輪では明治に入って間もなく、同五年浅利佐助二九才が醤油醸造を志して五〇石を仕込んだ一

「花輪

町史」

)のは、

その前提に、藩政期において既にある程度醤油の需要の高まりがみられ、醸造の試みもなされていたという事情

があっただろうことは、十分推察できる。

酢の譲造

○前掲の町井家『日記書留覚』にはまた次の様な記載がある。

酢作り方

一、桶に水三斗入

一、黒米九升五合尤ふかしたてへ入ル。

一、糀弐升五合

一、酢弐升入酢かすならハ三升五合入テよし。

一、せうぶ三十匁