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紀行文にあらわれた紫・茜
〓天明五年(一七八五)三河の人菅江真澄が初めて鹿角を訪れた際の紀行文
「けふのせばのの』の一節に「花輪の里に出たり(略)此の里をはじめ此のあ
たりのわざとて紫染るいとないあり。これを染めるに必ずにしこほりてふ木の灰をさすという。なにくれと
"こ"の字のみ付て物言うを聞ておなじう"野に出てひかしこにしこほりためて(東こ西こ掘り貯めて)染めると
そ聞くかづのむらさき"」と詠んだとある。その後文化四年(一八〇七)に再び鹿角を訪ねた際に写生した紫根
を搗く図は、現在行われている根搗き作業と寸分違っていない。
〓天保一三年(一八四二)江戸の狂言作者、船遊亭扇橋が仙台から南部を経て秋田まで旅行した際の紀行文
奥のしおり』に、旧暦六月上旬鹿角へ入り、七日から一〇日まで花輪に逗留中「此所赤根染紫根染名物に
て家々に染物いたし、鹿の子らせん絞り、其外無地色々まことに見事にて御座候」と挿絵まで描いて紹介し
第16図根搗き作業図
(真澄「百臼の図」から.
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第17図現代の根搗き作業