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留木が払底し、一昨年あたりから坑内が五、六〇間も潰れたが、修理できずに迷惑している。承わるに昨年毛馬

内御町の火事の復旧に、古遠部山の切捨り、根倒れの古木を下げ渡されたという。ついては大水抜の繕い留木用

として、厚さ三寸四寸、幅五寸六寸、長さ七尺八尺のものと、一丈弐三尺の打わりという木も少し必要なので、

一、五〇〇本を下され度い。旧冬掘分を与えられた根田四枚山一一口の大水抜は、水坪まで三、四〇長(一長は

六尺)も降りねばならず、狭い所へ人足が大勢入って手廻しがとても悪かった。「つまり水坪は疏水坑より三、

四〇長も低位にあるため、リレー式に桶で汲揚げるか、あるいは樋を使用しなければならぬのである。当時白

根でも樋引が行われたことは、加賀七兵衛間歩を四丁立間歩とよんだ事実からも推定できる。四丁立とは樋四

丁を同列にならべ揚水することで、これだけ揚水量を多くした例は当時の鉱山ではむしろ稀有のことである」

小葉田『日本鉱

山史の研究』

。ただ今普請中の大水抜は、これまでよりも一〇長も二〇長も下げて四つ留を結び口をつけ、手

廻しをよくして進めたので、現在の掘分け敷の掘場に切りつくことができた。その大水抜の四つ留繕い用の留木

にしたいので、遠部沢の根倒れの古木二、〇〇〇本を払下げてくださる様お取計いいただきたい、との要旨であ

る。四つ留とは坑口のことをいい、左右に柱を立てて神を祀り坑内安全を祈ったという。

このような、庄左衛門の親子二代、三代にわたる大水抜普請に対して、藩も大きな期待を寄せていたと思われ、

『青山家系事蹟』に藩老から庄左衛門に宛てた書状がいくつか収録されている。

○今十日之書状昨日参着披見申し候。殊ニ爰元ニ珍敷き一樽五十盃入井びニするめ二百把政所茶二百目壱斤、右三種

遠路送り給わり奈く賞味申し候。猶又御米御借り大慶に存ぜられ候間尤もニ存じ候。弥々水抜之間歩に精ニ入れ

れ、当年中ニ水抜き候様ニ存じ奉り候。其方仰せられハ白根に於て存じ候ニ付、猶以て水抜の儀精ニ入れ申されて