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然る可くと存じ奉り候。猶重ねて申し入れ可く候。恐々謹言

八月十三日石井伊賀守直弥花期

青山庄左衛門殿

ご返事

○(前略)然れバ其元扇平地蔵沢両所の水抽、先月廿四日四ツ留を結び十四五間堀入り候由、弥々油断無く普請ニ縣

る可く候。猶委細ハ堀兵庫助ニ申さる可く候。恐々謹言

石伊賀守直弥花押

九月廿日石伊賀守直弥花〓

青山庄左衛門とのへ

○今十日御状同十二日之午之刻ニ披見申し候。殊ニ爰元珍敷き比内扇田酒五拾盃入之樽壱つ、井びニ〓百枚遠路之所

越預忝く存じ候。

一、御前より御蔵米三拾駄、霜月ノ直段ニ代金上ケ候様ニと、御借下され候間一段之仕合せと存じ候。其ニ就て御

年寄衆へ飛脚を申され由尤もと存じ候。随って大水抜ハ来る廿日、日前ニハ壱間分も水ぬき付け申され可き由、

弥々目出度き事と存じ候。扨又九左衛門道中無事ニ参る由申し越され満足致し候。何れも面上之時御礼申す可く

候。恐惶謹言

八月十三日

八月十三日毛馬内三左衛門直続花期

毛馬内三左衛門直続花押

青山庄左衛門御返事

石井伊賀守は野辺地二、一〇二石、藩の重職として活躍し慶安三年(一六五〇)に没した。右の書上には年代

を欠いているが、初めは正保二年(一六四五)のもの、堀切兵庫助の白根金山奉行在任は同二年より慶安五年〓

までと思われる。次の書上も、その前後のものである。毛馬内三左衛門書状は、慶長以来家老職を勤めた三左衞