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白根之内、本平三枚之水抜、切取候跡山、普請山ニ就望候、被遣候。普請中五厘壱分之道草候共、入用分ニ可仕候。普

請仕付候者、応金躰切取之日前可被下候。過分之金躰隠候カ、普請山偽候者、可為曲事也

明暦三年酉八月十一日兵助判(桜庭

明暦三年酉八月十一日

兵助判(桜庭)

勘左衛門判(漆戸)

九左衛門判(毛馬内)

仁左衛門

白根の産金は古間歩の水没によって、次第に危殆に瀕するようになった。その運命は、水抜普請の成否にかか

わる状況のなかで、さきの庄左衛門らの大普請のほかに、石田儀兵衛、白根の仁左衛門等もそれぞれ水抜の普請

に当たったことがわかる。仁左衛門は儀兵衛の跡山を請け、明暦三年二月まで八七〇日間の普請の末ようやく水

を抜いて、一荷当たり筋金(竿金)七厘の金躰に切り付けたが、荷数の多く出る敷であるから一荷当たり一分五

厘相当とし、切取日前は普請日数一五日について一日、即ち八七〇日に対して五八日を与えるというのである。

また同じく仁左衛門の望んだ本平三枚敷の切取跡山において、普請中五厘壱分の道草があっても必要経費分とし

て与えるという同年八月の証文である。なおこの仁左衛門についての素姓はわかっていない。

〓本山銅平間歩

こきに掲げた寛永年中の藩老連署状数通によって、本山(平)銅平の、場所は恐らく異なった諸間歩を、青山

圧左衛門らが請け稼行していることが知られる。寛文四年から五年にかけ赤尾津作兵衛が再び大水抜の普請にと

りかかり、その普請日数を五人組の保証という形式で山先庄左衛門、検断内蔵助に届けでている。『青山家白根