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〓金山の経営と働く人々

御金山奉行

直営

藩の鉱山領有形態には、直山・請山・御手山(

)の三つがあった。重要な金銀山について

山

は、一般的に直山法を採用することが多かったというが、前述の如く盛岡藩は白根金山など鹿

角の諸金山に直山法を適用していた。なお請山は、山師が一定の契約期間鉱山経営を請負う形のもので小鉱山に

多かった。

直山は、藩主が金山奉行を任命し、直接的に運上や諸役を取立てた。金山奉行は藩老の指揮のもとに金山の管

理にあたり、鉱山町・集落の行政や司法の全般を支配していた。直山はその公納形態から、運上山と掘分(荷分)

山に分かれる。運上山は前述の通り、普通、普請・切取り・採鉱の順に行われるが、普請の出願から切取日前の

運上

決定、切取後の運上高の認定、その手上げ(

増

)などに至るまで、金山奉行の意見具申によって藩家老が証文

を下付し、その履行を奉行が監督した。また掘分山においても、掘荷の出荷から公納分・山師分の分配、売値等

まで奉行の厳重な監視の下に行われた。

直山であることから白根は「白根御金山」と呼称され、奉行は御金山奉行とよばれた。『寛永支配帳』の、五

二八石小枝指又左衛門に「白根之御奉行」と傍記され、七五石山守甚三郎に「白根御番」、四六石浅水孫左衛門

に「白根御奉行」と同じく記されている。

金山奉行は、『雑書』によると時には御山奉行とも記され、二名任命されている。うち一名は山許に駐在する

疋めで、三〇日乃至五〇日の交替であったとおもわれる。現在、判明する限りでは金山奉行は左の通りである。