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の如く、御山奉行、山奉行もしくは白根銅山奉行が初めて見えてくる。特に遠藤七兵衛の相役として浅石文右衛

門、本堂五兵衛両名の任命されていることが注目される。白根における奉行三名の例は、『雑書』のほかの条〓

は見られない。これは文中にあるように、御境についての処理に加え諸間歩をめぐる競り合いも多いという事務

多端の折の臨時措置であろうか。白根の現地に「壱人ツ、明けざる様ニ罷り有る可き由」「若し役所を明け候ハ

ハ越度(不正)たる可き」事を厳達している。

るお『慶安支配帳』によると、これらの奉行級の禄高は例えば石川久膳三〇〇石、堀切兵庫助二八二石、帷子

多左衛門二五二石、新渡戸弥左衛門二一七石、石橋新兵衛二〇二石、儀俄八郎兵衛二〇〇石、藤田多左衛門二〇

○石などである。

山先・山師

曰根金山の山先山師は、青山庄左衛門である。山先は、初めて鉱山を見立てた山師のことで、

金山奉行の次座、山師の上座としての地位と待遇が与えられていた。一山の経営に参画しなが

ら、検断とともに鉱山集落の治安維持にも大きな役割を果していたとおもわれる。『青山家系事蹟』のうちにあ

る「青山庄左衛門由緒書」に「白根へ罷越候得ハ御山先と申す義仰付けられ候」「御山追日繁昌仕り日本中へ隠

れ無く諸国より色々の者共入り込み、上方筋より諸商人等罷下り其の中あやしき者なとも入込み候ニ付随分大切

ニ相勤め」云々とある。同じく二代庄左衛門の頃には「其頃諸国ノ入込みゆへ御法度ノ宗門ノものなと山中へ酷

越し候事なとも之れ有り」「身命を顧みず取捕え惣しテ山中安泰ニ罷成り候ニ御奉公大切ニ相勤め」としている。

また「青山先祖永代記目録」にも「御境目下ノ事故古人役義も仕り候様ニと御境見届け仰付けられ、依テ御境目

ノ事故度々くぢさだ等モ相出で候ニ付夫より五駄ノ御切米下し置かれ随分吟味仕り候様ニと仰付けられ金山山目