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白根ニ於てきりしたん御改め、先年御老中様より仰付けられ候。御意ノ如く家数人数、急度数年改め指上げ申し候。其
ニ就て御山中へ御蔵米引き兼ね申す刻、御山奉行衆よりきりしたん改御帳ニて御ふちニ引き申す様ニと仰付けられ候。
左様ニ御座候ヘハ御沢中ノ者共、人数かくし置き申し候。方々ノ寄合いニ御座候へハ若シきりしたん宗旨ノ者罷り越し、
何方よりも御届なとも御座候ヘハ、拙者無念ノ様ニ思召され可く候間、若し壱人成り共かくし置候ハ、其家主ハ申すニ
及ばず、五人組共ニ急度籠者ニ仰付けられ可きノ旨御証文下され度く候。井びニ互様ノ義ハ申上ぐるニ及ばず候へ共、
拙者手へまわし候ヘハ、きりしたん御改めノ入用、盛岡へ父子共ニ御帳持参仕る路金御山中へ仰付けられ下され度く候。
下々ニて右ノ通り申付け候へとも合点仕らず候間、御老中様より御証文下され候様ニ仰上げられ下さる可く候。同じく
ハ壱ケ年ニ一度ノ御事ニ御座候間、御伝馬壱疋仰付けられ下され候様ニ願い奉り候。以ト
白根ノ青山勝左衛門判
慶安二年己丑十二月廿三日
儀俄八郎兵衛殿
堀切兵庫助殿御披露
一、青山庄左衛門に白根御金山中きりしたんの御改め仰付けられ候間、右ノ御用にて盛岡へ参上仕り候ハヽ、伝馬壱〓
往還相立て申す可く候也。
慶安二年己丑十二月廿三日九左衛門判(毛馬内
伊賀守判(石井)
従白根盛岡迄道中所々馬次
(以上『青山家白根史蹟』)
藩は庄左衛門に、数年来命じてきた金山中の切支丹宗門改めを、山師、掘子以下男女を問わず、何処から来た
かに拘らず、一層厳重に穿鑿すべきを指示してきた。庄左衛門の、金山奉行を通じて請願したことは、仰せのご