テキストを表示

御売米

金山内で消費される米は、もっぱら藩の御蔵米が御売米として独占的に供給されていた。白相

金山へは毛馬内の御蔵米が払い出され、平米といわれた一般市場米や、脇米すなわち他地方か

〓

らの移入米は、殆ど禁止されていた。これは云いかえると、藩は年貢米である御蔵米の領内販売、地払い先とし

て、まとまった消費地である金山を確保し続けたことになる。

藩政初期において、毛馬内御蔵にどの程度の米が収納されたかは明らかでない。『雑書』慶安三年二月二〇日

ノ条に「毛馬内御蔵、有米九百八拾四駄片馬弐斗六升、有籾弐百五十八駄片馬、此所御蔵奉行柴内作右衛門、御

米改波岡勘解由左衛門書付を以テ披露ス」とある。これは収納期を終える二月現在の在庫高とみられるので、当

時のおおよその見当をつけることができる。この払い米の販売に当ったのは、おもに盛岡の商人たちであった。

この時期の金山御売米について、『雑書』はかなりの数の記事をとどめている。白根の関係分として

○正保二年五月廿一日

一、白根御金山御売米ノ勘定、中嶋惣九郎、田名部文五郎預かり状上ル。田鍍太郎左衛門披露。

○慶安元年五月十二日

、白根御金山御売米御勘定、惣九郎、又五郎今日上ル。

○同年七月廿六日

一、白根、西道、槇山、船久保、平糠此五ケ所ノ御金山売米、直上ケノ証文、今日遣ス。

○同年十月廿八日

一、白根御金山米売り本町四郎兵衛代り、同町清蔵を今日遣ス。

○慶安三年八月廿六日

、白根御金山ニ、三戸より脇米入レざる様ニと仰付け置かれ、米留めノ者、沢中ノ者共、朝暮山より取らセし薪ヨリ