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弥六郎(八戸)

花王惣吉

(山本家文書)

この金山の位置もよくわからないが、後年外山金銅山、東山鉱山といわれた地区のようである。とすれば柴内

用前山から皮投岳、三倉山へかけての一帯であろう。日前三カ月が与えられ、たとえ日前の期間内であってもよ

い金躰に当ったならば運上山にするとしている。

開立年限附』には、花輪通の金山として黒沢御山をあげ、寛延元年(一七四八)山師六日町武平治が稼行を

願出たとし、また一ノ渡り金山を文政一三年(一八三〇)赤沢住居勇治が願出たとしているが、その位置等は不

明である。

また白根に隣接する立石金山が、天和三年(一六八三)山師石田儀左衛門によって、駒木金銅山が延宝三年山

師新保助七によってそれぞれ見立てられているが、まもなく銅山に転じているので、金山としての実績について

は明らかでない。