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なった。ただ翌年三月四日付で白根銅山奉行として吉田新七が任命されているが、これを最後に白根単独の奉行
発令はなくなる。
白根銅山の銅吹用の炭を「小坂村ノ内相内山赤川上より沼敷迄、北ハ同山嶺切」の間で焼くことを、山先久右
衛門、銅山仕左平次、清兵衛が願出て、延宝二年七月九日藩に許されている。その遣証文に「御鷹ノ巣、神木、
水ノ目、御境構エ之れ無き所」を山守に吟味させ、「御百姓共迷惑ノ由申候ハ何時成り共無用ニ申付け可く候」、炭
木の外は一本なりとも切ってはならない、御論地へ入り込んではいけないと条件をつけている。また同六年四月
一三日、白根、蛇沢、四角嶽、掲村四カ所にて銅吹用の炭を、盛岡紺屋町市兵衛、寺町口入庄兵衛、久慈町口入
惣五郎の三名が請け、藩から証文を与えられた。「五貫目荷壱駄ニ付売人より銭三文、買人より同三文、双方よ
り六文宛役取申し可く候」「運上炭五貫目荷簗川小貝沢炭三千駄只今ヨリ當極月マテ毎月段々上納仕る可く候」、
もし運上し兼ねた場合は一駄に付七〇文の直段で代物を納めさせるという条件であったが、いかなる理由による
ものか同年六月二日にこの証文は取上げられている。
白根沢中の集落人口は、金山時代の規模から次第に縮小されていた。元禄一〇年(一六九七)時の状況は、同
年六月山先青山庄左衛門が奉行に提出した次の四山人数目録によって知られる。
一、六百拾八人内
男三百三拾八人
女弐百八拾人
鹿角郡白根想沢中
男弐人
内生者合五人内
女三人
男三拾五人
同御當領より来者合六拾九人内
男三人
女三人
男七拾弐人
女三拾四人
同他領より来者合六人内
同御當領出者合百三拾九人〓
女六拾七人