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『雑書』は延宝八年末に次の遣証文を書留めているが、その条項は他の銅山との共通点も多いと思われる。
運上遣候事
、鹿角郡ノ内駒木山、槇山両所、先年より金山堀捨古間府共銅筋之れ有る由聞及び候ニ付、来ル正月より三ケ年掴人
無く望候ニ付遣し候。来年中ニ普請仕るニ付銅鉗出来候ハゝ、其節床灰役壱ケ年壱丁ニ付拾両宛差上け申す筈、若銅
兜過分ニ能候ハ吟味ノ上役金増候て堀申す可き定、金銀筋ニ逢候ハ早々注進仕る可く候。作法ノ通り申付け可く候。
隠密候ハ曲事たる可し。
一、炭木取候山、用木水ノ目ハ申すニ及ばず、所ノ者構之れ有り候カ何そ出入り候ハ吟味ノ上申付け可く候
一、吹出候銅ハ拾分一役取上け候外、他領出望み候ハ證文遣し可く候間、代官山奉行改メさせ書付相出申す可く候。銅
入用ニて買上け候ハ壱両ニ弐拾貫目ノ積ニ差上く可き事
右定ノ通り違背ニ於てハ證文取上く可き事。尤も堀捨口古間府本山主構之れ有る由申出候ハ僉議を遂げ申付く可き者
治太夫(奥瀬)
兵助(桜庭
也。
延宝八年十二月廿日兵助(桜庭
七左衛門(楢山)
出渕助七
いつミや与七郎
山渕助七、泉屋与七郎の両名が駒木山と槇山の両山を請けた。延宝九年正月から三カ年の期間、銅鉱を掘出し
たならば床炭役一カ年床一丁に付一〇両、品位が高ければ増額する。炭木は所の者と争論のない山から伐ること
吹出銅役は十分一、藩で買上げる場合は一両に付銅二〇貫目の定め、としている。山師出渕助七は同じく延宝九
年と翌天和二年に狼倉銅山を、同二年から貞享へかけて鳬銅山を稼行している。