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延宝六年五月二日条に「一、鹿角ノ内大湯四角嶽銅山、同トワタ村台倉鉛山、右両所奉行鈴木武左衛門、渋民六
郎右衛門、新規ニ申付ける」と、台倉鉛山と兼管ながら新たに銅山奉行が任ぜられている。この奉行は同八年八
月一三日条には「十和田四角嶽狼倉山奉行波々伯部小右衛門仰付けらる。鈴木武左衛門代り、渋民六郎右衛門相
手也」と、狼倉を加えた表現に改められている。四角嶽銅山にかかわる他領出銅通し証文は、『雑書』における
初見が次の延宝六年一〇月二日付のもので、以下七件をかぞえる。
、銅千弐百拾三貫七百目、固数百壱固大小数弐百九拾三枚、四角嶽銅山師仁助、与助吹出、拾分一役百弐拾壱〆三百
七拾目代、金子ニして指上ケ候ニ付、拾分一銅共ニ加エ千弐百拾三貫七百目他領エ出候。改メ通し申さる可き也。
延宝六年十月二日兵助(桜庭
延宝六年十月二日
兵助(桜庭)
九兵衛(北
治太夫(奥瀬)
鹿角松山御番所
この証文でも、十分一役銅を差引かずに代金をもって上納し、吹出銅はすべて他領出として松山へ運んでいる。
年月日他領出銅箇数山師名改め番所
延宝七・五・二三、九三三・七二〇-仁助・与助松山番所
〓七・八・一九二、二八六・三〇〇一四八同円
〓七・八・一九二、二〇五・八〇〇一四九同〓