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一、御手山御用春木、留木、諸材木洪水ニて流れた時は、所の御百姓共に留め置かせるよう前もってその心がけを肝前

共から話しておくこと。もっとも褒美代は平左衛門方ニて支払う。春木流しの川筋で万一盗取る者があれば必ず処罰

するであろう。これらのことは花輪、毛馬内の御代官へも申渡しておく。

一、「長坂御金山宜しからざるニ付」当分沢の者共へ下され、或いは少々の御礼金で山師へ申付けておくこととする。

万事に気を付け「御為ニ相成候様」了簡仕らるべきこと。

一、「杉売山剪跡」に杉植立てを命じられたので、杣取どもが小杉に当らないよう申付ける。

もし各々了簡の違いがあっても下役人や平左衛門等が「御為ノ義」を申出たならば得と聞届け、「御為筋」を間違い

御用が滞ることのないよう勤めなければならない。

「比度ノ御手山御勝手ノ事ハ御内所ノ御事第一」であるから、間違いにでもなれば自国は勿論他国の物笑いにも

なり御外聞にもさわることなので、よく相談を重ねるべきである等としている。

この御定目は藩勘定頭一一名の連名で、銅山大奉行久慈恒右衛門、朽内与五右衛門並びに同下奉行折笠治五右

衛門、小笠原孫左衛門に宛てた形式をとり、「右定目ノ通り堅ク相守り油断無ク相勤ム可キ者也」と藩家老連署

の末書がある。岩井屋小平治は阿部小平治であり、平左衛門は小平治のあとの支配元盛岡の商人和久屋平左衛門

『諸鉱

である。平左衛門の金主は大坂の天王寺屋弥右衛門であった(

)というから、やはり直営の御手山という形

山記」

式のなかに請山的な要素が入っていたものとみられる。「往来馬足叶わざる時」の雪船とは橇のことであろうか。

青駄(あんだ)は駕籠、また内代りは奉行らが勤番の交代を行うことである。

正徳期の御手山経営が、どの程度の成果をあげたかは明らかでない。『雑書』正徳四年三月二四日条に、藩主