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(『雑書』元文三年四月一六日条)

享保から元文へかけて長崎廻銅が不振におちいり、貿易に差支えを生じたことに対する幕府要路の苛立ちが読

みとれる。

御用銅渋滞す

翌四年四月には、さらに具体的な内容で尾去沢銅の廻銅遅滞に対する糺問が行われた。即ち

勘定奉行神尾若狭守の呼出しによって藩留守居らが出頭したところ、勘定奉行、長崎奉行、

勘定吟味組頭列座のもと口上をもって云い渡されたことは、概略次の通りであった。長崎御用銅渋滞のため唐船

が長い間碇泊するなど以ての外の差支えとなっている。早急に少しでも余計に銅を登せなければならない。前々

から尾去沢銅は質入銅あるいは借方押えとなって、能代、大坂その外問屋等に囲われていると聞える。もしそうで

あるならば、幕府よりその分の金子を貸付けてもよいから銅を請出し登せ銅とすべきである。先年前金一万両を

貸与したにも拘らず、一カ年請負銅高一〇〇万斤の内年々不納分があり、とりわけ去年一〇〇万斤の内四〇万斤

しか大坂着銅がなかった。仕入金に引合わぬなどと申して、不納銅を過分にだすのは不埒なことである。その上

さらに前金拝借など願出ているが、そのような請負人南部屋八十治に関わりなく藩役人が吟味を遂げ廻銅滞りな

くするのであれば、前金を貸渡してもよい。長崎御用銅が年々不足となるのは、八十治が銭座へも銅を廻してい

るためではないか。いずれ藩役人でよくよく吟味の上申出るように、という厳しいものであった

「雑書』元文四年)

四月二五日条

八十治の銭座云々というのは、かねて八十治が江戸小梅村銭座の鋳銭引当の銅をも請負っていたことを指したも

のである。同日の勘定組頭菊池文五郎の意見には、囲置銅あるいは質入銅を廻すためにその銅高を「屋敷役人」

)。